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[思い出のパチンコ台〜コラムの一覧] - [末井昭さんの日記内における 田山幸憲 さんの闘病]
末井昭さんの日記内における 田山幸憲 さんの闘病 | 懐かしのパチンココラム
絶対毎日スエイ日記を読みました。パチプロ日記は全巻何度か読みましたが、末井さんの日記の中でも田山さんが何度も出てきてその人柄に触れることができました。
自分の田山さんに憧れて何度か桜新町に伺いました。自分の上司にはいないタイプでとても憧れていました。好きなことを仕事にして生きていくのは憧れます。
定年がさらに伸びるかもしれない世の中、本当にやりたいことを今やるべきでは?と思うことがよくあります。
ただ末井さんの日記のは910ページと相当のボリュームです。もちろんどの日記も面白く、勉強になるのでお勧めです。このページでは日記ないで田山さんに関して書かれている曜日をピックアップしてみようと思います。写真も何枚か紹介されているので是非お買い求めください。2004年発売なので今は中古でしか手に入らないとは思います。
2000年5月8日
・用賀の居酒屋「とり八」で田山さんとあったこと。2階に座敷があること。
・一時期、田山さんのマンションの近くに末井さんが偶然住んでいたこと。
・その後麻雀を打ったこと。
・帰り道に「癌が再発したかもしれない」と言ったこと。
2000年5月10日
・以前に末井さんが池袋で働いていたこと。その店には田山さんも行ったことがあるかもしれないということ。
・1993年に田山さんが要町から用賀に引っ越したときに、偶然末井さんも用賀の隣の桜新町に引っ越してきたこと。
2000年5月11日
・末井さんが田山さんに電話したときに「やっぱり癌が再発していたよ」と言われたこと。
2000年5月13日
・月2回の原稿を渡す日の大宴会のこと。
・今回は田山さんが入院するとうことで、末井さんも参加したとのこと。14,5人も集まったとのこと。
2000年5月21日
・末井さんの奥さん(美子さん)が作った"かぼちゃスープ"を渡すために用賀のH店に行ったこと。
・田山さんはナナシーを500円で当てていて、相変わらずの引きの強さだったこと。(それは伊東温泉で実証済みとのこと)
・田山さんが明日から入院すると聞いたこと。
2000年5月23日
・美子さんに「田山さんはお父さんみたい」と言われたこと。
2000年5月31日
・田山さんのお見舞いに行ったこと。
・雨で濡れるのに外まで見送ってくれたこと。
2000年6月6日
・5月の初めごろに「東京パチンカー&スロッター」創刊号の対談で田山さんと対談したこと。
・「やっぱり癌が再発していると思うよ。これは末井さんには言っておかないとと思って」と言われたこと。
・その後の検査の結果再発がみつかったこと。
・今回は手術しない意思が固かったこと。末井さんはしつこく手術を勧めようと思ったこと。
・田山さんに「頑張るしかないよ」と言われたこと。
2000年6月9日
・村岡君、加藤君、龍太郎君と田山さんにお見舞いに行ったこと。
2000年7月8日
・美子さんと田山さんのお見舞いに行ったこと。
・"紫陽花はもう終わりですよ"というと"じゃあ、梅雨も終わりなんだよ」という名言を紹介。
2000年7月15日
・田山さんが一時退院したので、用賀の"とり八"で会ったこと。
2000年7月22日
・田山さんと陣馬山に登ったこと。(田山さん、モデルオノさん、小池さん、ウエチューさん、美子ちゃん)
・最後に「これで入院する決心がついたよ」と言われたこと。
2000年8月6日
・田山さんとパチンコを打ったこと。
・フルーツパッションを打ったこと。
・「とり八」で商社マンさんと田山さんと飲んだこと。
・その後田山さんとオークス2を打ったこと。
2000年9月5日
・田山さんと初めて会ったこと。
・田山さんと山楽会館とネパールとネスパとロボQのこと。
2000年10月14日
・田山さんが退院したので電話したこと。
2000年10月16日
・用賀の「とり八」で飲んだこと。
・メンバーは「田山さんさん」「モデルオノさん」「コータローさん」「熊笹さん」「安田一彦さん」「飛鳥一平さん」であったこと。
・その後麻雀を打ったこと。
・いつもはその後「ピエロ」で飲むのだが、その日は田山さんは帰宅されたこと。
2000年11月6日
・「パチプロ日記」の原稿を受け取るため用賀の「とり八」で皆で飲んだこと。
・チョンマゲ君がとても謙虚な方であること。
・田山さんがメモ帳とボールペンを持っていて筆談していたこと。
・飲んだ後、田山さんは麻雀ではなくパチンコに行ったこと。
・田山さんはすぐに大当たりしたこと。
・田山さんは最後の3,4発の玉で大当たりしたが、チューリップへ入る数が少なく出玉が千いくつだったこと。
2000年11月11日
・田山さんに美子さんが作ったかぼちゃのペーストを渡しに初めてマンションへ行ったけど迷ったこと。
・田山さんと用賀のH店で打ったこと。
・田山さんはいつもの端の台で打ったこと。末井さんは田山さん勧めの台で打った台は1000円で17,18回と等価でよくまわったこと。
2000年11月18日
・田山さんに会いに用賀のH店に行ったがいなかったこと。
2000年11月19日
・用賀のH店に行ったら、田山さんがちょうど店から出てきたところだったこと。
・引き返して一緒に打ってくれたこと。
2000年12月26日
・用賀のとり八で田山さんと一緒にの飲んだこと。
・体重も少なく飲むのも不自由そうだったこと。
2001年1月21日
・用賀の珈琲館で会ったこと。
・とても痩せていたこと。
・田山さんに封筒に入れたお金を渡すと丁寧にお礼を言われたこと。
2001年2月21日
・マンションまで行ったら偶然田山さんに会ったこと・
・末井さんも腰の治療があり、玉川病院まで自転車で付いて行ったこと。
・病院で「調子はどう?みんあ会いたがっているから、調子が良ければみんな呼ぶけど」というと「いつ死ぬか」とメモ用紙に書かれて何も言えなくなってしまったこと。
2001年7月7日
・田山さんが亡くなった連絡を田山さんのお母さまから伝えられたこと。
・玉川病院に一緒に行ったことを田山さんは喜んでいたことを伝えられたこと。
・葬儀に使う写真を貸してくれとお母さまに言われたこと。
・喪服を買いに行ったときに蛭子さんと会ってそのことを会話したこと。
・ノッポ君と小野君は公益社に行って会ってきたこと。
2001年7月9日
・田山さんに関して朝日新聞から取材を受けたこと。
2001年7月15日
・「CRパチンコ必勝ガイド」発表会で田山さんの写真が飾られており、寄せ書きノートが設置されていたこと。
2001年7月25日
・田山さんのお母さんより机を整理していたら原稿が出てきたことを伝えられらこと。「パチプロ日記10巻」のことが書かれていたこと。
2001年8月15日
・田山さんが謙虚なことを「コウさん」を例に出して紹介。
2001年8月22日
・田山さんの学生時代の山崎さんからのメールを紹介。19の頃は毎日のように一緒に遊んで暮らしたとのこと。競輪、安田講堂、内装工事の思い出の紹介。
2001年8月24日
・パチプロ日記の前書きを書いていること。
2001年9月18日
・田山さんが生きていたらパチプロ日記の10巻はこんなに分厚くならなかったこと。
2001年9月20日
・パチプロ日記の発売記念のためにとり八で集まったこと。
・田山さんのお母さんが挨拶に来られたこと。
2001年10月15日
・「MEMO」という雑誌のエッセイに田山幸憲のことを書いたこと。
2001年11月22日
・田山さんのこととCR機だらけになったこととジグマのパチプロが食えなくなったことを安田一彦さんと話したこと。
2001年12月2日
・パチプロ日記の関数がアラビア文字である理由。10巻を「エックス」と呼ばれるのではないかとのこと。
2001年5月12日
・田山さんのお墓詣りをしたこと。
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